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2021年度受験をふりかえって

 

A・M(成蹊高3)   日本獣医生命科学大学獣医学部合格(進学先)
               (ほか合格校:麻布大学獣医学部、北里大学獣医学部、北里大学海洋生命学部)

一度受験を諦めたことがある。中2の時、一度は高校受験をしようと予備校に入ったが、半年ほどで諦めて辞めてしまった。私は年がら年中体調を崩しているので、何度も授業を休んでしまい、授業についていけず、宿題も全然こなしきれない状況に限界を感じてのことだった。そもそも学校と学校の宿題だけであっぷあっぷしている自分に受験は無理なのではないかと思った。でも、大学でどうしても学びたい学問があったため、大学受験は諦めたくなかった。体力的に予備校には通えないし、どうしたものかと頭を悩ませていた時に嚮心塾に出会った。
私は中高とずっと定期テストでそこそこ良い点数をとり、そこそこの成績をもらい、本当に恥ずかしいことだが、なんとなく自分は勉強ができる気でいた。授業は真面目に聞いていたし、テスト勉強もそれなりには頑張っていたと思う。ただ、それらは本当に定期テストのためだけの、表面的でその場限りの暗記で乗り切っていたもので、本質的には全く、悲しいことに本当に何一つ理解してはいなかった。ということを突きつけられたのが高3の4月頃、本格的に受験勉強を始めた時だった。

私が嚮心塾に通い始めたのは高2の秋。まず英語の文法書を読むこと、数学の教科書を読むことを勧められ、塾に行っては少しずつ読み進めていたが、全く身が入っていなかった。というのも、私の学校は教科書反対派(?)の先生が多く、中学生の頃から耳が腐るほど「教科書を読むことには何の意味もない」「教科書を読むのは時間の無駄」と聞かされていて、見事にそう信じていたからだ。自分で教科書を開いて確かめようともしなかった私自身にも呆れるが、とにかく色眼鏡で見ていたので、姿勢の上で教材をめくってはいたが、全く真剣に学びつつ読んでいたわけではなかった。
そんな中、冬になり、大きく体調を崩し、パタリと塾に行かなくなってしまった。この間学校も行っていなかったので、4-5ヶ月の間、ほぼ全く勉強をしていなかったことになる。とにかく毎日一日中何もせず、ただひたすら寝て過ごしていた。少し調子が良く、体を起こせる日は文法書や数学の教科書をパラパラしてみてはいたが、勉強時間の内には入らないレベルだった。だんだんと体を起こしている時間が長くなり、きちんと勉強をし始めたのは高2の3月半ばだった。もう絶対受験には間に合わないだろうと思っていた。
そうこうしてようやく真剣に勉強を始めて、それでやっと気づいた。教科書も、文法書も、驚くほど分かりやすかった。例えば英語だったら、そもそも品詞になにがあるかや、OとCの違いすら分かっていなかった私は、自分のレベルの低さに初めて気づき、愕然とした。数学も本当に基礎的なことが記されている教科書を読むだけでかなりの時間がかかってしまった。それから今に至るまで、受験生活は勉強すればするほどに、自分の出来なさ加減をつきつけられる毎日だった。一つの参考書や問題集を終わらせ、次に進むたびに、できることに比べて、出来ないこと、分からないこと、覚えていないことがいかに膨大にあるかを見せつけられた。なにより、中高約5年間、これまで勉強時間として割いてきた時間がほとんど何も生み出してはいなかったこともショックだった。新型コロナにより学校が休校だったので、横になりつつの時間も含めてではあるが、毎日12時間程度は勉強するようになった。この勉強時間が確保できたのも柳原先生のおかげだった。机に向かうことが勉強と思っていた私に、横になってでも出来ることはたくさんある、と何が出来るかを考えてくださったのだ。勉強ができない日や、ほとんど机に向かえない日があっても勉強を続けられたのは、その言葉の支えがあったからだ。また、たくさん本を貸していただけたこともとても有難かった。普段自分では読まない分野のものが多かったので、勉強になりとても面白かったし、気分転換にもなった。

学校が再開してから勉強時間はまた減ってしまったが、秋までそうして勉強を進めていた。ところが、10月に入り、またガクンと体調を崩してしまう。詳しい説明は省くが、私は高3の夏で体調は完全に良くなると信じていたので、かなりショッキングな出来事だった。なぜそう信じていたかといえば、今後ずっと自分の体調と向き合い続けなくてはいけないかもしれない、という事実を直視するのが怖かったからだと思う。そして、体調が良くなったら勉強時間ももっととれるし、より集中できるだろうから挽回できるかもしれない!という希望にしがみつきたかったのかもしれない。この時、やっと初めて自分の体調のことと向き合い、真剣に考えるようになった。これまで、自分の体調と勉強のことについて誰かに相談した時、反応は大きく分けて2パターンだった。ひとつは、体調を理由にするんじゃない、なんとか食らいついて勉強するしかない、というもの。もうひとつは、体調が悪いのだったら仕方がない、無理をしない範囲でやるのがいい、というもの。アドバイスは本当に有難かったが、結局自分はどうすればいいのか、という結論には全くたどり着けずにいた。いくら気力で頑張ろうともどうしても他の受験生に比べ、机に向かう時間は少なくなってしまう。一方で、何もしないで寝ているだけでは大学に受かるはずもない。受験本番が刻一刻と近づく中、どんどん焦る気持ちが大きくなり、私は考えがまとまらないままに柳原先生に相談のメールを送った。

この時までは、上記のような反応だったらどうしよう…と思うと怖くてなかなか相談できずにいたのだ。その後いただいた返事はとても丁寧かつ分かりやすく、今後私がどうすればいいのかが一気に明確に見えてくるものだった。正直、体調のことを前提にした上で、ここまで実践に無理がなく、かつきちんと勉強ができるアドバイスをいただけるとは思っていなかった。驚いたし、大げさでなく、本当に感動した。また、ただただ他の勉強の相談をした時のように、あたかも勉強方法の選択肢として当たり前に存在するかのような対応をしてくださったこともなんだかとても嬉しかった。嚮心塾に通っていて、最も心に残っている出来事である。

過去問をやっと解き始めてからが一番きつかったように思う。解くたびに自分があまりにできないことに失望し、受験勉強においても結局自分がどれ程、分かったつもりでいたのかを突きつけられた。このままでは絶対にどこにも受からない…と思いながら、先生からアドバイスをいただきつつ、勉強の穴を埋めていった。受かりっこないのに何で今私は勉強しているのだろう…と思ってしまうことも多々あった。去年までだったら何もしないで寝ているような体調の時に勉強を続けることはそれなりに辛かった。どうせ現役合格なんてできないのだし、今年の受験を諦めて寝てしまいたい、体を休めたいという思いが何度も頭をかすめた。一方で、何もできずに寝ている時もそれはそれで辛く、他の受験生はきっと今この瞬間も必死で勉強しているのに。全然まだ自分の実力は足りていないのに。と、常に焦りが心を占め、やはり受験から何度も逃げたくなった。しかし、先生が真っ直ぐに私の体調のことと向き合ってくださっていたこと。それから、今後もこの体とともに生きていくなら、体調を崩すたびに全てを諦めて休んでいるわけにはいかないという思いが背中を押し、情けないことだがなんとか勉強をし続けられた。

これから、大学に入っても、なかなか周りの人と同じような勉強時間をとり、机に向かって勉強することはおそらく難しいと思う。だが、そこで無理に周りの人と同じようにやろうとするのでも、体調が悪いからいいやと全てを諦めるのでもなく、その時の自分にできる最大限の形を探して、勉強をし続けたいと思う。

最後になりましたが、嚮心塾に通っていなかったら、志望校に合格することはもちろん、きっと大学受験をすることすら叶わなかったと思います。柳原先生には本当にお世話になりました。心の底から感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。

M・S(都立昭和高卒)青山学院大学理工学部電気電子学科合格(進学先)

            ほか合格校:工学院大学建築学部

 私は小学校2年生から野球を始め、それから高校3年生までずっと野球中心の生活を送ってきました。中学校までは練習が土日のみだったので、そこそこ勉強との両立はできていました。しかし高校では、毎日野球。週一のオフの日も「自主練」という名の半強制練習をしていたので、入学時に半分より上だった成績は2年生になる時には下から数えてすぐの所まで落ちていました。

 

 そのまま2年の冬になり、いよいよまずいと塾を探しているときに、母から嚮心塾を教えてもらいました。初めこの塾は、毎年何人もの生徒を難関大学に合格させている敏腕の先生がやっていると聞いていたので、きっとつま先のとがった靴を履いている塾長に、私の野球中心の生活を否定され、やめるよう言われるんだろうと思っていました。しかしいざ話してみると、そんなことはなく、私の意志を尊重し、週一ながらその中でできることを模索してもらえました。そこらへんの大手塾ではしてもらえない対応だと思うので、とてもありがたかったです。

 塾へは週一回プラステスト前のオフを使って通っていました。しかし、大会前はテスト前でも練習があったり、私の通う高校は自称進学校の部類に入るので、課題が多く、答を写すのに時間を取られたりと、なかなか思うように勉強できていませんでした。ちなみにこの時、部活引退後からでも死ぬ気でやれば何とかなるだろうと思っていました。これぞまさに野球で培ってきた間違った根性論です。

 7月後半になりようやく部活動が終わり、そこからすぐに勉強をスタートしました。ネットでよく見る「半年で逆転合格!」なんて言葉を信じて勉強を進めていきましたが、4ヶ月後には浪人を覚悟していました。なので一個下の代に、今から差をつけるぞ!というモチベーションでガツガツ勉強していきました。結果はMARCH以上の大学5校を受けて、全落ちでした。

 現役を終えた段階で、まだやりきれていない参考書がたくさんあったので、浪人に対しては嫌悪感なくスムーズに勉強を始めることができました。しかし浪人開始から5ヶ月ほど経った頃、思ったほど参考書が進んでいなかったことと、残りの期間がさほど長くないことへの焦りからやる気がなくなってしまいました。そういう時は、先生に進捗状況を説明し、全体の勉強の量やバランス、やり方などの具体的なアドバイスをもらうことで、やる気を取り戻しました。

 その後9月頃に初めて模試を受け、改めて絶望することがありました。このままではまずいと先生に、今年から勉強していた化学をやめ、3教科の勉強時間を増やしたいと提案しました。しかしその時点で、ある程度時間をかけてきているので問題はやり方の方にあると言われました。実際、初めは知識0だったので、やればやるだけ力がついていましたが、そのときは無意識のうちに避けていたり、理解しているつもりになっているところを一つ一つ潰していく作業が必要な状態でした。

 当たり前のことだと感じると思いますが、今まで勉強してこなかった私にとっては盲点でしたし、指摘されなければずっと伸び悩んでいたと思います。このような勉強の当たり前を自分の当たり前にできたことは、今後の勉強を考えても大きいことだったと思います。

 その後は過去問を解いたり、模試を受ける中でだんだんと伸びている実感が湧いてきて、少し安心したのか11月頃には現役時代からの寝付きの悪さがようやく改善されました。

 試験直前は膨れ上がってくる不安感と、結果への期待感でなんだかふわふわしていました。今考えると浪人一年間でこのときが一番つらかったように感じます。なので長距離走のようにペースを徐々に上げるのではなく、初めからしっかりやっておいて良かったと思っています。

 私は第一志望には合格できませんでしたが、確実にレベルアップできましたし、物事を学ぶ上での基本姿勢を嚮心塾の一貫した指導の下で身につけられたと思います。これから自分の専門分野を深めていき、かつそれ以外の事にも学ぶ姿勢を貫いていけたらと思います。

 2年間ありがとうございました。

T・A(麻布高3)

                                                   東京工業大学環境・社会理工学院合格(進学先)

                                            (ほか合格校:東京理科大学理工学部)

まず、中学時代の話をすると、中高一貫校に入学し高校受験もなかったので中学3年間をロクに勉強せずに過ごし、高校にあがる時には、学校の授業中はおろかテストの時でさえ勉強をしていなかった。もちろん天才でもなんでもないわけで、学力はかなり低かった。この時、大手塾に入ろうと考えていたわけだが、それすらも厳しい学力であったので”応急処置”と考え、一時的にこの塾に通う事にした。(この塾は姉2人が通っていたため知っていた)

数ヶ月あと、”Gnoble”の入塾試験に臨んだ。(やはりこれまでの期間必死に勉強していたわけではない)

 

英語は中一から転々と色々な塾に通っていたおかげか、無事試験を通過できたが、数学は一番下のクラスにも入れないといった具合であった。その結果”応急処置”として通っていたこの塾に引き続き通う事になったのだ。(結果的にはこれが功を奏したのだが)

 

しかし、高校1年時にはこの入塾試験に落ちた事、学校内での模試の成績が悪い事などに対して全く危機感を持てず、”まだ大丈夫”といった気持ちが大きかった。このように考えているので、勉強に本腰をいれるわけでもなく、部活終わりにほんの少し勉強しに立ち寄るといった感じで過ごした。

 

高二になると周りが受験の話をし始める。模試も増えてきて実力が露わになり始める。そんな周りの話をやはり他人事のように捉えていた気がする。というのも、自身の勉強不足であるにも関わらず、無意識にそこには目をつぶり、周りのように大手塾に通っていないことが原因で実力がついていないのだと考えていたので、大手塾に入れば周りには自然と追いつき大学に進学できるだろうと楽観視していた。

 

そして、先生に駿台に行こうかと考えていることを明かした。その時展開した持論は次のようなものだった。この塾には小学生から浪人生まで幅広いの年齢、そして実力の生徒がいる。自分はそのような環境にいるから危機感が持てず勉強に本腰を入れることができないのだ。駿台に行けば、クラス分けされ同じような実力の生徒と切磋琢磨できる。だから駿台に行こうと思っていると。

 

これに対し、先生は”周りがいてこそのモチベーションならば、受験には落ちる”とおっしゃった。これは受験が終わった今考えると、結局受験の最後は自身の心の持ちようにも大きく左右されるだからだと思う。当時は妙に納得し、駿台にいくことをやめ、この塾で受験を迎えることを決心した。

 

いよいよ高校3年になるわけだが流石に受験校の話も先生と始める。東工大に行きたい学部はあったものの、東工大は自身の苦手教科であった数学がかなり難しいというイメージがあったので、京都大学を目指すことにした。(実力としては全く受かるようなものではなかったが、目標は高くということで)

 

この時期から、これまで勉強していた数学に加え(英語はgnobleで中心に勉強)、物理と化学の勉強も始めた。正直1年間で終わるのかという不信感があったことは否めないが、それまで数学や英語が物理と化学を始めるに値するような実力を持っていなかったので自業自得である。

 

特に高3の1年間、先生とは勉強の進め方について相談をした。

 

まず、参考書について。物理・化学の始める時期が遅いと考えていた上に、数学も新たな参考書を解き始め、焦りがあったのか”早く”参考書などを終わらせることを重視していた。もちろんこれは全くの間違いで、ほんの少しでもわからないところはしっかりと潰さないといけないのだが、はやる気持ちのせいか、少しわからない部分も目をつぶり、とにかく終わらせる事に焦点を当てていた。これは本質が見えていなかったと大きな反省点である。1つの参考書が終わると次のステップに進んでいいか相談に行くわけだが、先生は自分のその手を抜く癖を見抜いてか、”終わった”の言葉を信用せず、もう一度同じものを解くように勧めてきた。これが結果的にはかなり実力をつける上で役に立った。

 

また、英語について。英語は上記した通り、大手塾に通えば勝手に実力が伸びると思いgnobleの授業に参加していたわけだが、実際はなかなか英語力はつかなかった。これについても2年間gnobleに通って初めて相談した。それまで感覚的に英語に取り組んでいたわけだが、それが通用しなくなっていたのだ。先生に文法的な英語の捉え方といった的確なアドバイスをもらい、結果英語はかなり実力が上がり、受験当日では安心して受けられる科目にまでなった。

 

そのように勉強をしていた、12月ごろ受験校の迷いが出てきた。それまで、京都大学に進学しようと勉強を続け、模試も京都大学のものを受けていたが、いざ学部を選ぶとなると特に行きたい学部もないと気づいてしまった。このことと、いまだに東工大には興味のある学部があるということを相談した。直前にこのような相談をするものではないが、先生は丁寧に相談に乗ってくださり、もちろん受験的なものやそれぞれの大学の利点などまで話してくださった。これを経て、第一志望は東京工業大学になった。それまで、大学に行きたいといった強い気持ちはなかったが、このとき初めて、”大学に行きたい”という気持ちが生まれ、モチベーションにつながった。

 

直前期はもちろん過去問を解くわけだが、最も他塾と違い、そして最も役にたったと感じるのがこの時期である。まず、他塾は直前期は授業がないので、突然自分1人で過去問を解く事になる。しかし、この塾では、普段から自分で勉強するのが中心なので自然に過去問を解き始めることもできるし、そのやり方も迷うことがない。また、過去問をといて自分で採点をして、その採点でわからないことがあればメールのやり取りなどをせずに、その場で”全ての教科について”聞くことができる。的確なアドバイスをもらい、次の過去問を解く時にそれを生かす。同じ間違いを繰り返すときにはそれを特に意識して解く。そうして本番に向けて準備をする。

 

さらに、高2のときに持っていた勝手な偏見の”この塾ではモチベーションが続かない”ということは全くなかった。というのも、もちろん個々人で受験する大学を違えど、その人にとってのレベルのチャレンジであり、受験を迎える皆が集中していたおかげか、そこから自分も頑張ろうという気持ちが生まれ、最後まで実力を高めることができた。

 

そして迎えた東工大の試験日。1日目は数学と英語。英語は難なく解けたが、数学は大問5問中0完、書けるとこを部分点狙いで書いたといった感じで正直数学の配点が大きいこの入試では正直終わりを覚悟して、試験終わりに嚮心塾に寄った。そこで先生に”入試は2日目が勝負。あきらめないで頑張れ”と言われ、かなり気持ちが軽くなり、2日目の科目の準備をしっかりとすることができ、その結果2日目の物理と化学では大きな失敗を防ぐことができた。これが合格に結びついたと思う。

 

受験はもちろんのこと、勉強以外の事にも質問がしやすく、的確なアドバイスをもらい、その人にあった勉強をできるというのがこの塾の強みの一つだと思う。そのような場所を提供する柳原先生、そして何度も質問に答えてくださったチューターの皆さん、改めて本当にお世話になりました。

 

(ここからは、中学受験と大学受験について僕個人の観点から少し書いていこうかと思う。完全に独り言のようなものなので、無視してもらっても問題ない。

 

まず、なぜ僕が麻布を受けたのかは今となっては覚えていない。というより、中学受験自体を自分からしたいを言った覚えはない。むしろ中学受験をする小学生などこのような人が多いのではないだろうか。つまり、中学受験とは親の意向といったものが大きく反映される。受験校もそうだが、特に塾に関しては子供が決める余地はほとんどないように思う。自分がその塾に向いている、向いてないなどといったことは考えもせず、勉強すると決められた空間に行き、テストなどを受け、その結果で一喜一憂する。それのゴールが中学受験とはまったく意識せずに塾側から出された宿題や授業を受ける。今でもそうだが、僕は視野が狭いので、それが自分にとって正しい道なのか、もっというとそれが楽しいのかすらわからなかった。

 

僕の小学校のときの塾はまだその当時は小さく、コミュニティーとしてはかなり心地よい空間だった。それゆえに、”勉強”といったものは苦ではなく、必死に勉強したつもりもなく、受験を迎え、麻布中学という世間では名門と言われる学校に入った。(実際は…)

 

これに対し、大学受験において、他人(特に親)の意向というものが薄れ、それよりも自分の考えの影響力が大きいと考える。例えば、僕の場合、上に書いた中学受験の時の感覚は大学受験を迎えるにあたって大きな障壁となった。中学時代、高1、高2のなめきった態度というのは、中学受験のときと同じようになんとなく周りに合わせて勉強をして、なんとなく受かってしまったのが原因だと考える。受験というものは周りと同じようにペンを動かしていれば、乗り越えられるものだろうと。結局大学受験を迎えるような年齢だと、いろいろな感情や考え(特に勉強を阻むような類)が生まれてきて、中学受験より合格のハードルがぐんと上がると感じる。

 

そういった意味でも大学受験とは”自分自身との戦い”なのだろうと考えている。

(僕は単独で”自分自身との戦い”に勝ったのではなく,先生からの多くの自分では気づかない弱点の指摘など多くのサポートがあったことも忘れてはいけない)

T・N(桐朋女子高3)        武蔵大学社会学部合格(進学先)

 私は中学受験をして中高一貫校に入りました。中2からバドミントン部に入り充実していましたが、私は試合のレギュラーメンバーではなく同じ時期に部活に入った1つ下の後輩に負けることもあり高2になって、好きではなく上手くもないバドミントンを続けるか悩んだ結果、部活を辞めることにしました。本来ならこの時から受験勉強を始めれば良かったのですが、当時の私は専門学校に行こうと思っていたので進路のことを深く考えずに遊んでいました。高2の12月になって気づいたら周りのみんなが塾に通っていたので、焦って塾に行くことを決めました。それまでは学校の数学のテストで赤点をとらないようにするために週1で塾に行っていました。その塾は大学受験をするような塾ではなかったので、部活の友達が行っていた嚮心塾に行くことにしました。12月末に塾に行き、1月から入塾しました。

 私は専門学校に行くつもりだったので大学に関する知識もなく、志望校は決めませんでした。また、受験勉強を始めるのも遅かったので私立文系ということだけを決め、英語・国語・日本史が全てゼロからのスタートでした。先生には英語をとにかく集中してやるように言われ1月から8月まで英語しかやりませんでした。まず最初に英語の参考書を何周も読むことを教えられました。それまで勉強をしてこなかった私は「読む」という言葉を鵜呑みにして参考書の文字を目で追って、時間が経つだけで勉強をしている気になり満足していました。しかし、6月に学校で受けた英検の結果が返ってきた時に3月に受けた英検のスコアとほとんど変わっていませんでした。そのことを先生に相談したところ、自分は参考書を何周もして英文の日本語訳を覚えていただけだということが分かりました。その時はすでに6月だったので国語も日本史もゼロ、英語はやり方を間違えていたということで、もう間に合わないのではないかと思いました。夏休みに学校で進路に関しての面談があり、私の通っていた学校は半分以上が学校推薦やAO入試だったので担任にもAOを勧められました。私は志望校を明確には決めていなかったし、6月の時点で全て最初から勉強し直さなければいけないということでAOを受けるかどうか悩み、塾長に相談しました。先生は将来のことを考えたときにAOで受かる学校に行くか一般受験をするかでどちらが自分にとって良い選択になるのかを説明して下さいました。そして、AOは受けずに一般受験だけをすることに決めました。それからは英語の参考書をやり直し、英文は品詞分解して分からないところは徹底的に先生に聞くようにしました。先生に質問すると教科書の解説にはのっていない細かいところまで教えてもらえたり、解説とは違う考え方を知ることができるので1%でも疑問に思ったらすぐに聞くことが大事だと思います。国語は8月から、日本史は9月から始めました。過去問を1月からやり始めましたが、日本史は全然間に合っていなかったので過去問は解かずにひたすら一問一答を繰り返しました。しかし、段々できるようになってきた英語と国語に時間をかけ、日本史をにかける時間は減っていきました。日本史が出来なくても英語と国語を頑張れば受かるかもしれないと思い始めました。そんな状態で2月になり受験当日になりました。過去問を解ける時間が限られていたので受験校は4校に絞って受け、結果は全て不合格でした。自分の考えが甘かったということに気づかされました。その後、2校の中期と後期を受けることを決め後期でなんとか合格することが出来ました。

 勉強全体を通しては、始めは集中力がもたなかったこともありましたが、部活は毎日行ってもなかなか上手くならなかったけれど、勉強は今まで勉強していなかったということもあって正しい勉強法で続ければ身に付いているという実感が持てたので、ネガティブにならずに続けられました。ただ、もっと早く勉強を始めていればよかったという思いもあるので今後の就職や決断は、あとになって後悔しないように行動しようと思います。嚮心塾ではみんなが勉強しているという環境があり、自分の勉強へ対する考え方も変わりました。この塾に入って本当によかったです。1年間ありがとうございました。

O・K(立教女学院高3)

東京外国語大学言語文化学部ロシア・モンゴル・ウズベク語学科合格(進学先)

 

 

私はこの4月から第一志望校の東京外国語大学に進学することが決まりました。今年受験した唯一の大学でした。

 

私は中学受験をして、大学附属の中高一貫校に通っていました。この学校は中学から英語教育に力を入れているのが売りで、英語の特別プログラムなどもたくさん用意されており、私はそこそこ楽しんで参加していました。とにかく英語の長文を読ませ、英語に慣れさせることが中心の授業だったため、文法はざっくりとしたことしか勉強していませんでしたが、試験は授業でやった英文を丸々暗記すればなんの問題もありませんでした。恥ずかしながら、私は"本質を理解しないままの丸暗記だけでどうにでもなる"試験で毎回高得点が取れるのをいいことに、(中学3年の時点で英検2級を取得していたのもありますが)中学時代は自分は英語がものすごく得意なんだろうと思い込んでいました。実際全くそんなことはなく、高校に上がると同時に、自分は別に英語ができるわけではなかったということを痛感しました。文法や語法の知識がきちんと身に付いていなかったためにしばしば躓くようになっていたからです。附属の大学には進学せず大学受験をする、と決めたものの、高校1年の間はろくに勉強をしていませんでした。英語は躓いたままでしたが、前より英語ができないな、という程度に考えてあまり気にしていませんでした。

 

受験勉強を始めたのは高校2年の4月からで、はじめは河合塾に通っていました。受験勉強とはいってもその時は英語だけで、一番上のクラスで受講していましたが、そもそも文法語法の基礎が全くといっていいほど身に付いていなかったため、入試問題をひたすら解くという授業は恐らく今の自分には意味がない、自分はそのレベルに達していない、と思い河合塾をやめました。そして高2の9月から、両親にすすめられた嚮心塾に通うことを決めました。入塾した時点ではもう外大を第一志望に決めていたため、先生と話し合って高2の冬までは配点の大きな英語と苦手な数学を中心に勉強することにしました。受験勉強全体を振り返ると、英語の勉強が7割ほどを占めていたと思います。まずは文法書を読んで英文法を徹底的に、そのあとは構文をつかむという勉強をしていましたが、これらの勉強を進めていくうちに、自分がいかに英語を感覚的に読んでいたかに気付き、精読の大切さを実感しました。自分の中途半端な英語力を過信せず、一から正しいやり方で英語の勉強をし直せたことは、私の受験勉強において大きな成功点だったと思っています。

 

英語に関しては高2の3月にはセンター試験の過去問を解いていたため、そこそこ学習が進んでいました。8月前半にはセンター試験の過去問を解き終えたので、それ以降はいろいろな国公立の過去問を解くことを始め、それと並行して英作文を10月に始めました。しかし国語と地歴の勉強を本格的に始めたのは高2の3月、公民に関してはゼロからの状態で高3の4月からだったので間に合うかどうかが少し心配でした。とはいえ、英語が最重要科目であり、自分の英語力の伸びに自信がなかったため、共通テスト前までは英語重視の勉強をしていました。共通テストが近くなると、先生と科目ごとの勉強のバランスについてもう一度話し合いました。

 

私は他に行きたい大学がなく、外大しか受験しない、ここに合格できなければ浪人する、と夏前には決めていましたが、後になってみると、これは苦しい決断でもあったと思います。二次試験直前は、高校の友人からの早稲田大学や慶應義塾大学合格の報告を聞くたび、友人の合格を嬉しく思うと同時に、自分は他大学を受験していないため力試しができず、そして(当たり前のことではありますが)一校も合格を貰えていないため自分に自信を持って本命に望むことができないという現実に改めて直面して、試験の結果よりもむしろ自分のこの決断は本当に正しかったのかということに悩むことがありました。そもそもこれからの人生というものは妥協の連続で、皆思い通りに行かないことがあっても多少の妥協をすることで前に進んでいるのではないか、なのに私はこんなにも頑固に一つのことに拘っていていいものなのか、という疑問も頭の中に湧いてきて、自分の英語力への自信のなさも相まって、心が折れそうにもなりました。自分の精神面の強さについて過信していたのかもしれないと感じましたが、自分の決断には責任を持たなければいけないし、私が決めた自分なりのやり方に対して私だけは疑問を抱いてはいけない、余計なことを考えて諦める瞬間が来ることだけはいけない、自分が今諦めたらこの一年は誰が肯定してくれるんだ、と思ってとても必死でした。

 

受験が終わった今考えると、第一志望しか受験しないというやり方のメリットは、直前期に多くの学校の過去問を解く必要がなく、本命の対策に時間をたっぷりかけられることです。私の場合は過去問15年分を2周(難しいと感じたものは3周以上)する時間がありました。一方でデメリットは先ほども述べた通り、自分の実力を試せないことや、試験慣れしないことなどがあると思います。特に試験慣れすることは重要で、入試本番は普段の実力通りを出すのはとても難しいことなので(先生にいつもそう言われていました)、本番の緊張感の中で自分が最大限の力を発揮するにはどうしたらいいのかをよく知るためには、本命以外にもいくつかの学校を受けるほうがいいのかもしれないと個人的には思いました。

 

二次試験直前には、先生に毎日過去問の記述と英作文の添削をしていただいていましたが、その際、試験中の時間の使い方と、そしてもう少し自分に自信を持つことを繰り返し指摘されました。時間の使い方に関しては、先生と相談して、どの問題にどれくらい時間をかけるべきかということや、どのような順番で解けばより高得点を狙えるかなどを話し合い、それは過去問を解いていく中で随分改善されました。ですが、今年は出題形式が変わったことなどから本番にそのまま使える時間配分の練習はできず、自信はあまりないまま当日を迎えました。二次試験当日は差をつけなければいけないはずの英語が思うようにいかず、回答用紙を提出した瞬間から不合格を覚悟していました。世界史は得意な範囲からの出題だったのもあり、満点近く取れたという自信がありましたが、共通テストでも英語が好成績ではなかったため、やはり英語での失敗はカバーできないだろうと思っていました。結果が全く期待できなかったので、先生と話し合い、落ちたつもりでいようということで、試験の2日後から塾で勉強していました。結局、自分の英語力が外大受験のレベルに届いていたのかどうかがよく分からないまま、消化不良で本番が終わってしまったことに少し悔しい気持ちでした。正直気は乗りませんでしたが、とにかく勉強しようと思い、夏にやっていた英文解釈の参考書の復習をしました。6月にはじめた時はひたすら難しかった参考書がスラスラすすんで、この時はじめて自分は英語の実力をしっかり固めることができていたことに気付きました。(もう少しはやくこれに気付いて自信を持てればよかったのですが、、)努力してきたことが無駄にはならなかったと分かって本当に嬉しかったです。ありがたいことに、後日合格を貰うことができましたが、二次試験が終わってから発表までの9日間がなければ、私はずっと自信をつける機会を見つけられないままだったと思うので、この期間も勉強しようと声をかけてくださった柳原先生には本当に感謝しています。

 

長くなりましたが、現役で第一志望の国立大学に合格する、ということは、嚮心塾で指導を受けていなければきっと不可能だっただろうと思います。高校2年生の春の時点では外大のレベルには全く届いていなかったであろう私の英語の実力を、合格できるまでに伸ばしてくださった柳原先生には感謝しかありません。勉強の内容だけでなく、試験中の時間の使い方などの細かい部分も先生から的確なアドバイスをいただいたおかげでここまでくることができました。塾生の皆が自分の目標への強い信念を貫いている、嚮心塾という自分にとって最適な環境で勉強ができたことは、本当にラッキーなことだったと思っています。

そしてこれから大学受験を迎える方々、皆さん一人一人の努力が実を結ぶことを心からお祈りしています。今後は学び多き四年間にしたいと思っています。本当にありがとうございました。

匿名希望   北里大学医学部 授業料免除(進学先)

再受験生なので、この塾での一年間のことを主に書きます。

私は最初大手予備校に入りました。しかしコロナによってオンライン授業になり、浪人を決断したのは間違いだったのではと、とても不安になりました。そこで自習する場所や個別指導を探している時に、ここの体験記を見ました。勉強の進め方は勿論、他の塾にはない試験中の実況中継や生活面までみんな詳しく書いてあり、この塾ではここまで生徒に寄り添い色々なことを考えさせていくのかと、とても衝撃を受けました。また、理3のチューターさんの「受験勉強においては才能もない。あったのはただ、諦めの悪さだけです。」「1年延びようが10年延びようが、自分の信念を諦めることに比べたらたいしたことない。」と書かれた体験記では涙を流しました。(とても素晴らしい体験記なので是非2020年に遡ってみて下さい。)このように親身な先生と素晴らしいチューターに付いていきたいという思いで、大手予備校はやめ、ここに毎日通うことにしました。いざ、始まると自分に甘い性格が露呈し、日々それとの闘いだったので、問題点を箇条書きにし、先生とどのように改善していったか書いていきます。

・午前から頭が働かない。

 原因は体力がないか、夜寝られないため睡眠時間が足りないかです。普通は気合論を説いてきます。気合いで改善できたら、苦労しません。自分での解決策は、夜は端末類を全て父に預け、午前は海外のカフェインの粉を塾に置かせてもらいずっと飲みました。それでも朝はテンションが低く気を抜くと二度寝してしまうので、先生に相談したところ、家族間で登校時間は8時の約束でしたが、毎日9時・ひどくても12時と無理のない目標を設定し、遅い時は毎回理由を述べました。「何時に寝たのか、何故遅くなったのか」から始まり、解決策も考え、帰る直前も声をかけてくれました。今までは言い訳ばかり考えていましたが、柳原先生は何でも受け入れてくださるので本当のことを口にすることができ、自責の念が深まります。また、周りが毎朝いることが分かるので、恥ずかしさも戒めになります。昔は平気で遅刻していましたが、今では起きるべき時は自分で起きて活動できるようになりました。

・暗記ができない

 単純作業が苦手で、演習することで覚えていましたが、覚えるべきことを覚えるとスピードにもつながります。柳原先生は毎日口頭でテストをしてくれました。英単語は、先生が口頭で発音し、私がその綴りを書きながら意味を言うというテストでした。他塾ではプリントを配るだけなので、綴りか意味かの片方しか出来ませんし、強制力もありません。私は英作が必要になってから綴りは覚えればいいと思っていました。しかし何周もするうちに似たような綴りの単語と意味をよく間違え、その対策が綴りもセットで正確に覚えることだと先生が教えてくれました。そのおかげで、英語は細かい文法まで手が回りませんでしたが、私立の長文は解けました。その他にも、英熟語や無機化学も口頭テストしていただき、暗記すればとりあえず解ける分野は「やればいいんだから」と好きになりました。

・復習ができない。

恥ずかしことに、それまで計画性がなく飽き性のため、一周やりきった問題集は少なく、単語帳すら途中で断念する程だったので、当然何周もしたという経験がありませんでした。しかし、この塾では、授業がないためその分演習にあてられるので、予習・復習が同時にできるようなもので、復習ができないという悩みは必然的になくなります。自分で解き、問題点を見つけ、解決する。そして類題でアウトプットする。忘れた頃にまたその流れでやる。どんなに素晴らしい授業を聞いても、この繰り返しをすることでしか、身に付きません。どの参考書をどんなペースでやれば繰り返せるのかは、先生が一人一人に指導してくださるので大丈夫です。単語帳は初めてボロボロになったので、捨てずに思い出にとっておきます(笑)

・全教科のバランスがうまくとれない。

 気分屋なので、一日における各科目の勉強時間や一科目の中でも放置してしまった苦手分野があるなど、偏りがありました。一日何を勉強したか報告し、次の日の計画をたてることで、放置する分野はなくなりました。勉強時間の偏りは先生から見える位置に座ることで改善していきました。先生は歩いて回るため、全員分把握していますが、敢えて自分からも先生が見えることで集中力の向上にもつながりました。個別指導に通ったこともありますが、集団授業を一対一に変えただけで、各科目断片的で総合点にはつながりませんし、自習時間までは管理してくれません。高額払うだけ無駄です。これは、全教科を教えることができる柳原先生だけができる指導であり、この塾の醍醐味です。

・過去問を有効活用できない。

 変にこだわりが強く、穴が埋まる前に解くのを避けていました。当然穴が埋まることはないのでやらずに終わっていたかもしれません。英語は過去問を解くことで、文法の穴を埋めていきました。先生は長文問題も品詞分解させ、文構造が分からないところを教えてくださったので、英文読解の勉強も同時にできました。文法問題は勿論、長文問題も文法で選択肢をきる教え方をしていただき、今までノリである程度解けていましたが、試験が終わった後正確に何割とわかるまでになりました。また、先生はその場で長文を解くこともできるので、毎日長文問題を質問できました。全生徒分解いているので本当にすごいと思います。数学・物理・化学は、チューターさんに質問しました。赤本にない別解や周辺知識も教えて下さりました。その場ですぐ解いて下さるので、上位層のスピード感や解くまでの思考過程もわかります。

どの科目も各問題にかかった時間、解いた順番を毎回先生に報告するよう言われます。特に理科は二科目のため時間配分が命です。先生と毎回作戦を練ることで、本番では難問や出題ミスに動じず、自分の取れる問題を確実に合わせ、自分の実力を最大限に生かせます。過去問は勉強の成果をはかるものに使われがちですが、時間をはかって自分の行きたい大学の問題を解くため、その復習で得ることは多いです。使い方がよくわからない人でも、先生方の指導を受けることで、赤本を最大限に有効活用できます。

・情緒不安定。

受験生によって、メンタルがぶれる時期は異なります。6.9月に中だるみする人、直前期に緊張する人、試験中に自信喪失する人など様々です。周りは「努力は裏切らないから頑張れ」としか声をかけません。しかし、柳原先生は勉強に集中することが出来ない、勉強以外の悩みまで相談にのってくれます。私の場合、誰にも話していなかった勉強以外の悩みをずっと抱えていていましたが、アドバイスをいただいたり、両親と話すきっかけも作ってくださり、勉強に集中することができました。

・面接対策

私は昔から変わっていて社会不適合者です(泣)小論文は解いた答案の添削をお願いしました。面接では、志望動機を無難な答えにするか自分特有のことを述べるか迷いましたが、何千人もいる中で印象に残った方がいいと先生にアドバイスをいただき直前まで練りました。自分の人とは考えが違う部分をプラスに変えることができました。また、医療ネタ対策として地域医療やALS患者さんについて考えた際、例えば「障害者の生きる役割が分からない」という私の非人道的ではありますが、誰もが綺麗ごと抜きでは考えたことがないような質問にも、向き合っていただきました。ただ答えを言うのではなく、参考になる東大の過去問の文をすぐにコピーし下さり、また対話をする中で自分なりの答えをだしました。よくある一問一答の面接対策とは違い「できた人間」を作り込むことができたので、用意してない質問にも答えることができました。面接官にも「今までこんなこと言った人はいないよ。」と非常に感動され、年齢や性別のハンデも払拭するくらいの評価をいただけたと思います。これは、人生をかけて様々なことを深く考えてきた柳原先生との対話でしか成しえないものであり、私は今後も機会があれば教えを乞いたいと思っております。

以上のことから、私は授業料免除という国立大学以上に望んだ結果を収めることができました。

北里の試験では、数学があまりにも埋まらず、英語までの休み時間ずっと泣き、全体の出来を踏まえたうえでも「この大学とは縁がなかった」と泣きながら帰りました。それでも正規合格だったので、自分ができない時は周りもできていないと自信を持つべきです。少なくとも、この塾で訓練してきた生徒はそうなれるので、自信をもって欲しいです。今、私の上記のような悩みを抱えてる方や受験するか迷ってる方の少しでも参考になれば幸いです。

最後になりましたが、私の勉強だけでなく社会復帰まで支えてくれた柳原先生、大学の試験があっても毎週長時間質問に答えてくださったチューターの方、一年間本当にありがとうございました。

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