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2011年度受験をふりかえって

大阪大学医学部医学科合格(進学先)            Y・K(西武文理高卒)


自分の受験生活をふりかえってみると、とてもこの一年間の話だけでは語り尽くせないものなのだが、まずはこの一年間どのように過ごしたかを書きたいと思う。
 高校生という身分が終わり、浪人生という社会的な身分としてはとても立派なものではないが、そんなことを気にせずこの一年間を勉強だけに集中させてもらえたのは親と嚮心塾の先生のおかげであると思う。今では、この環境がとてもよかったと感謝している。浪人が決まってすぐは、浪人の息子に対して生活費を出す親の気持ちを考えると一分一秒も惜しんで勉強しなくてはならないとは考えていた。しかし、卒業から一ヶ月も経って次第にその気持ちを忘れ、朝起きられずに昼から塾に行くような生活になり、しまいには昼夜逆転し、塾へ行く回数も減っていく始末だった。そのような生活リズムが夏まで続いた。そして8月頃のある日、先生から、「これからは2日に一回は来なさい。」と言われてその言葉を守っていると、自分だけで勉強するよりはるかに多くのことを学べていることに気がついた。先生に質問をすると多くのことを学べるなんてことは高校生のときから分かっていたが、先生に会う頻度が高い方がより良いということに、このとき気がついたのだ。それからは、病気になったり用事がある日以外は毎日朝から晩まで塾で勉強をした。そして、朝の8:30までに塾に来られない日が2日続いたら丸坊主にすることを先生に誓い、坊主にならないために苦手だった早起きの練習をした。この塾にも朝は苦手だという風に自分に言い訳をして、寝坊してくる生徒は多い。自分もその一人であったが、この誓いを立てて、朝起きられるかどうかは自分の意志の問題であるとわかった。それと同時に早起きできないような意志の弱い奴は最難関校を受かるレベルには到底及ばないことを悟った。
 しかし、この夏までに効率が悪いなりにも勉強はしてきたので模試の結果はかなり良いものになるだろうと期待していた。しかし、夏の最後の模試はひどい結果で返ってきた。この当時はまだ東北大医学部を目指していたが、東北大はおろか、その他の志望していたほとんどの医学部の合格可能性は最低のEランク、つまり実質的に合格可能性0という結果であった。そして、このときの結果と自分の実力を考えてこんなはずはないと思ったが、さすがに不安になり、親も目標を下げた方が良いと提案してきた。しかし、この結果を見て、どのような失敗をしたか先生と丁寧に反省していったところ、自分の致命的な習慣があることがわかったのだ。それはある程度実力がついたから模試で単に満点を目指そうとしていたことである。つまり、どんなに難しい問題が出てきても、それを真っ正面から受け止めて、簡単な問題を解かずにいたのだ。先生は「満点を取る奴は、初めから満点を取るつもりでやるのではなく、1点でも多く取ろうとしてやった結果、満点を取るのである。」と教えてくれたが、そんなことを意識して問題を解いたことはなかった。
 そしてもう一つ教えてもらったのは、「100回やっても100回とも良い点を取る奴のほとんどは、どんなに時間がきつい試験でも、時間を余らせるような時間配分で解いている。」ことである。この二つの他にも、先生と相談してこうしよう、ああしようということを教科ごとに決めた。こうして反省しきった後の東北大模試では化学は1位、他の教科も見違える程よくなり、数学の採点ミスが無ければtop30に入ったかもしれなかった。
 しかし、10月になって先生が物理が苦手(本当に難しい質問には答えられない程度なのだが)なことに嫌気がさし、先生に「物理をもう少し勉強した方が良いのではないか?」と提案したのだが、そのときの先生は様々なことに悩んでいてタイミングが悪かったために、不機嫌になって、その日帰るときにいつもの「それじゃあね」を言わずに帰ってしまった。今までどんなことでも自分が足りないと思ったことに対して努力を惜しむことなく教えてくれたのに、その先生自身がその努力を惜しんでいる風に感じ、悲しみと同時に怒りを覚えた。それから一ヶ月は先生が「物理の勉強」をしっかりする時間を作ってあげるために一切質問をやめ、会話も最小限しかしなかった。この時は、「俺が質問しなければ、物理を勉強する時間くらい作れるだろ!」と怒りながら、その一方で、今までしていた多量の質問が出来なくなったことで先生に頼らないで自分だけの力で勉強するという覚悟をした。その1ヶ月間を自分だけで徹底的に足りないところを探して、その解決策を探し、参考書も自分だけの力で探しいいものを見つけた。先生とは討論することは何度もあっても、このような形で先生から自立しようとしたことは一度も無かったが、先生を100%信頼するだけでなく、自分の力でも自分の足りないところを見つけようとする大切さを学んだ。
 そして、11月になって慶應医学部に本気で入りたいという思いが強くなってきて、慶医に受かるため、計画を自分だけで綿密に練り上げたが、やはりこの計画だけは失敗できないと思い、一ヶ月の沈黙を破り、先生にこの計画で良いか相談した。その前の1ヶ月は自分だけでひたすら不安を持ちつつ突き進んできたので、先生と計画を相談し終わった後は、心からその計画をやれば受かるという確信を持てた。
 12月になり、いよいよセンター試験の準備を始める時期になり、周りの高校生も冬休みで塾に朝から来るようになった。そんなときに、一人の高校2年生の生徒が「塾始まる前から塾を開けてくれるなら、自分も朝から勉強したい。」と言い出したので、とりあえず朝8:30から塾を開けることになった(先生から塾の鍵を借りていたので)。その子は、朝が得意なタイプで、後から聞いたのだが、毎日朝4時から勉強しているというのだ。その子にあわせるために、苦手な朝もしっかり起きるようにして寝坊もすることなく朝8:30から夜の10:30まで勉強をする生活が始まった。ただ、もっともその子に驚かされたことは、その子は塾で一睡もしなかったことである。姿勢もめったに崩すこともなく、ただひたすら机に向かって勉強していたのだ。その子は高2にして『数ⅠAⅡBスタンダード演習』、『数ⅢCスタンダード演習』(ともに東京出版)というレベルの高い参考書を終わらせ、学校の模試の偏差値は100を超えたこともあるというのだ。その子に、「そんなに勉強してたら東大でも京大でも受かるね。」と言ったら、「そしたら僕の学校の子はみんなそうですよ。」と言うのである。自分が卒業した西武文理という学校は、全く進学校ではなかったので(周りの友達が極端だったのかもしれないが)、テスト一週間前に勉強を始める奴は「ガリ勉君」の異名を与えられるような雰囲気だったので、高1から少しずつ勉強を始めただけの自分ですら、あの学校の中では勉強している方だとされて、自分でも、自分はかなり勉強している方だと思いこんでいた。その高2の子にその話を聞いてから、自分の愚かさを悟った。もし高校生の時にそんな奴と会っていたら、今の自分はもっと出来る奴になっていたと思った。
 そのような衝撃を受けてから1月になり本格的にセンター試験の勉強に集中し始めたが、1月1日から2週間は誰よりも勉強した自信がある。勉強時間もかなり多い方だと思うが、センター試験2週間前という適度な緊張感のおかげで集中力が異常に高まり、密度の濃い勉強が出来た。
 センター試験が終わり、採点した結果総合で92%とれていた。実はこの中で一番失敗したのは英語で、自信のあったリスニングもまさかの34点で、センターリスニングを甘く見ていたことを反省した。まさかリスニングでこけると思っていなかったが、そのまさかを常に考えていくことの重要さを実感した。しかし、その得点は東北大医学部はもちろんのこと、後期の医学部もおさえられる点数であったので、とりあえず成功ということにした。このときは先生も自分も東北でいいと思っていたので、親もかなり早めに志願書を郵便局に届けた。その次の日、ある受験生がセンターの点数が悪かったので、阪大医学部をあきらめるという話をしていたので、先生に「自分の点数で阪大を目指すと、どういう判定がでますか?」と聞いたところ、点数的には問題はないという。国公立で二次試験に国語のない医学部の中で最も難しい大阪大学の医学部は昔から少し興味を持っていたので、今から阪大に変えようと相談したところ、「後期のおさえがしっかりしているから、前期でチャレンジしても面白いかもしれない。」というので、親にそのことを話したら、「もう志願書出しちゃったよ!なんでもっと早く相談しなかったの?」と激怒されて、もう無理かとあきらめていたが、親が郵便局に電話して、なんとかその志願書を取り戻してくれた。しかし、そうはいっても阪大は難しいので、過去問をやってどれぐらい点数がとれるか見てみると、かなり相性が良く合格点を超えた点数もとれたので、前期を阪大で出すことに決めた。そのときから阪大までの1ヶ月は鬼のように勉強した。何しろ、この1年で大阪大学の過去問なんてほとんどやったことがなかったので、どのような傾向の問題が出るのか全くわかっていなかったので、ひたすら過去問研究をした。慈恵も慶医もそっちのけで、阪大の過去問を解いた。そのためか、慈恵も慶医も落ちてしまった。そして阪大の2日前、ある衝撃的なことに気付いてしまった。それは…秘密です。100回受けたら100回受かる人の核となる考え方に気付いてしまった。先生にこのことを言ったら、「ようやく君もそのレベルまで来たか。」と言っていたが、試験の二日前で、もう今更だよなんて思っていた。そして試験当日、数学、英語、理科の順番であったが、その数学の出来は最悪で、いつもなら最低3つは完答できるのが、一つしか完答できず、その上1つはほぼ空欄、他の3つは(1)ぐらいしかまともに解けなかった。しかし、この1年間鍛えてきたという自信のおかげで、「自分がこんなにわからないのだから、他の受験生も苦しんでいるはずだ。」と思って試験中も動揺することなく解ききった。ただ数学が悪かった分、英語取りかで取り返そうと思っていたが、まさかのその2科目ともいつもより難しく、さすがに落ちたかもしれないと思った。
 その日の試験が全て終わった後、先生に電話をして、「あまりにも結果が悪かったので、次の日の面接休んでいいかな?」なんて冗談を言ったら、「他の受験生も今年の試験は難しかったと言っていたので、面接で取り返すつもりでやれ!」と励まされた。
 その日までは忙しすぎて面接の練習や話す内容もあまり決めてなかったので、その日中に先生と話し合って良い内容を作り上げた。次の日の面接はそのおかげで何とか乗り切ったが、その日から合格発表の日までは気持ちが落ち着かず、後期に向けても集中できなかったので塾に何の音沙汰もなく、1週間ほど遊んでいた。
 そして発表の前日、ようやく塾に行って、後期の勉強を始めて、先生と面接で話す内容もじっくり考えて、次の日を迎えた。発表は朝9:00から。先生は朝10:00に塾に来るというので、塾で一緒に見るのかと思って、それまでは見ないようにして10:00に塾についてドアを開けた瞬間、「受かってた!!おめでとう!!」と先生が言ったので、思わず「よっしゃー!!」と叫んでしまった。それから先生とがっちりと握手を交わし、改めて受験票の受験番号と間違いがないかどうかを見て、ネットで発表された合格者の番号と一致していることを確認し、再び叫んだ。しかし、それでも自分が阪大医学部に受かっていることの実感がわかずにいたが、次の日合格通知が来て、それを見たとき、自分が合格したことを心から感じた。


 この一年だけを振り返ると、自分が優等生であるように聞こえてしまうが、自分はもともと天才とかそういった類の人間ではなく、平凡な子どもだった。小4の時、まだ先生が家庭教師をしていた頃に先生と出会って、中学受験の面倒を見てもらった。第1志望は海城中学校だったが、あの当時の自分の学力でここを目指しているなんて言ったら周りの人たちに笑われるような学力しかなく、結局合格したのは西武学園文理中学校だけであった。
 合格したと言っても、本当にまぐれで入れたようなものである。というのは、本当にゲームが好きで、休みの日なんか朝からずっとゲームをやり続けて、塾や先生の授業が終わると自分一人で勉強する事なんてほとんどなかったからである。中学に入ってもそのような生活は変わらず、成績は毎回35人中25番くらいしかとれなかった。そして、中2でモンスターハンターと出会った。今となってはPSPのゲームとしてブレイクしているが、これは元々PS2のゲームで、特殊な機械を買ってネットにつなぐことによって多くの人とゲームができるシステムで、中2ながらネットゲームの面白さに惹かれてひたすらのめり込んでいった。こんなことを言うと気持ち悪がられると思うが、親とお墓参りに行った時に、ゲームの中のレアアイテムが出ますようにとお願いをするほど、このゲームに対して中毒になっていた。中2の3学期くらいにPSPでモンスターハンターが出て、クラス中にそれを流行らせて友達と遊びまくった。幾度となく学校の近くの友達の家でお泊まり会を開いてモンハンをやり、次の日の学校に寝坊していくこともあった。こんなエピソードもある。学校の試験2日前にモンハンが発売するという時に、さすがに周りの友達は買うのを控えたが、自分はその日中に買い、試験があるにもかかわらず、その2日間で20時間も遊んでいた。しかし、このときの試験の結果はさんざんなものになると友達からは予想されていたが、実際は数学のテストで90点近く取ることができた。もちろん、英語や世界史などの暗記教科はボロボロだったが、試験前日は自分の好きな教科の数学だけは徹夜で勉強したので良い点が取れた。このときの友達はみんな「こいつは天才だ!」と騒いだので、すごく気持ちよく、短時間の勉強で結果を出すことの楽しみを知った。それからというものの、基本的に試験の一日前でどれくらい点数をとれるかということに挑戦した。さらに、このやり方でいい点がとれるならギリギリまでゲームができるという気持ちもあった。しかし、試験はそんなに甘くなく、数学はそのやり方で暮らす1位もとれたが、他の教科はてんでダメだった。中3は他の教科はクラスの中でもビリの方だったが、数学のおかげでなんとかクラス順位は10番~15番にのることができた。もちろん、それでもゲーマーであり、行きや帰りの電車の中でも友達とゲームをしたし、放課後友達とマックでモンハンをやるなんてことは頻繁にあったことである。
この頃は、学校から帰った後、塾(このときには嚮心塾ができていた)に行くのも面倒になり、3ヶ月くらい休塾させてもらった。休みの日はゲームをしてばかりで、ほとんど本も読まず勉強もしなかった。父親はゲームしすぎると怒るが、母親は健康に悪いからやりすぎるなとは言うものの、ゲームを没収して勉強を強要することもしなかった。先生も注意はするものの、そんなに厳しくは叱らなかったが、小4から教えてもらっているので、この先生がどんなに自分に厳しく努力してきた人なのか知っているので、そんな先生の存在がどこかでゲームをやっているときに、自分が腐っていくのを感じさせていた。そのせいか高1になると、しっかり塾に通おうと思い、しっかりと勉強の計画を立て、目標を立てようと思った。そして、目標は何が良いか考えていた時に、今まで自分を見下してきた奴らにぎゃふんと言わせてやろうと思い、西武文理の中で歴代トップレベルの大学に受かることを思いつき、東京医科歯科大学に合格することを目標にした。
 それからはそれなりに勉強をするようになり、無理なくクラスで10位以内、数学と英語は1位を独占するようになっていった。しかし、高2で再びモンハンの新しいのをやり始めたので、学校の成績はクラス3位以内には入っていたものの、受験勉強はおろそかになっていた。昔ほどやりまくることはなかったが、たまに塾をさぼって友達と遊ぶこともあった。
 そして、高3になり、さすがにゲームはやめて、受験勉強を本格的にやり始めたが、その頃には勉強しなくても学校の試験なら1位をとれるくらいには実力がついていたが、それでも東京医科歯科大なんて、夢のまた夢、という状況だった。しかし、何のために勉強するのかまだわからない状態で、勉強一筋という生き方をしたくないという思いから、学校の友達と仲良くしたり、文化祭に全力で参加したりと、好きなようにすごした。その結果、センターで失敗し、前期、後期もダメで、慶應の理工すら落ちる、というさんざんな結果で終わった。自分でもそんな状態からよく1年で阪大医学部に合格できたもんだな、と思う。

ただ、受験生活を終えて一番深く感じたことは、何のために勉強するかなんて結局わからないままだ、ということだ。何のために勉強するかということがわからず、勉強しないで遊んでいる人は多いが、それでも頑張って何かに向かって突き進むことが自分を鍛えることになると知ってほしい。


京都大学理学部理学科合格(進学先)            U・Y(西武文理高卒)


受験勉強の意味とは何か。もちろん、良い大学に入り、良い職に就くことでありますが、『古文・漢文』が将来役に立たない、『数学』の公式は覚える意味がない、と思ってしまうこともあります。受験勉強で身につくのは知識ですが、身につけるのは考え方。試験時に問題を深々と考えている暇なんてありません。人生においての、重大な選択も選ぶ時間なんてそんなにないのではないかと思います。ではどうすればいいのかといえば、普段から考え、誰もが納得する正解でなくとも、自分なりに理解しておくことだと思いました。そういう意味が受験勉強にはあるのだと思います。
 でもわからないことなんてざらにあります。大学受験は終わりましたが高校の範囲でも半分理解できていないことが多々あります。とても悔しいです。大学に入っても、わかる努力をやめたくはないです。
 わかる努力は普段から考えることだと思いますが、何事にもきっかけが必要です。何かといえば、この塾に来てみてください。自分がいかに考えなく生きているかがわかると思います。実体験です。それで落ち込まないで逆に糧にして頑張ってください。

東亜学園高校合格(進学先)                       S・T
 

僕はほとんど自ら家で勉強する性格ではなかったので、時間に縛られず気軽に通う事の出来るこの塾は、自分にとって非常に良い環境になっています。
僕は最終的に推薦入試という形で高校が決まったのですが、僕が推薦入試を受けると決めるまでは先生がしっかりと一般入試に向けた計画を立て、課題を出してくれました。また、僕がそう決めた後は、一転して毎日推薦入試に向けた作文や面接の練習をしてくれました。
そして、この嚮心塾で最も魅力的なのは、先生が学校の授業や入試についての知識だけでなく、聞いておけば将来ためになるようないろいろな事を教えてくれるところです。僕は嚮心塾以外の塾に通った事がないのでハッキリとはわかりません、駅前で良く見かける有名な塾などではそのような事は教えてくれないと思います。
 この塾には「絶対合格!!」というような厳しい雰囲気がないので、そういった空気が苦手な人、時間に縛られるのが嫌いな人、自分で勉強の管理が出来ない人(この塾に入る前は実際僕がそうでした。)にはうってつけの塾だと思います。先生もユーモアがあってとてもおもしろい人です。ぜひ来てください。

錦城学園高校合格(進学)                         O・K


僕が入塾してから受験のまじめな話をするまでは、あまり信じていませんでした。学校生活にいろいろな事があり、人を信用できなくなっていました。そんな感じで三年生になりました。部活にあけくれ、勉強などしない日もあったと思います。そして夏休みに入り、少し受験に向けて心が動き、勉強を頑張るようになりました。
 しかし、結果が出ず諦めてしまいました。そんな時、先生の話を聞いてまたやるようになりました。しかし、結果は出ませんでした。そして、そのたびに諦めて勉強をしなくなってしまいました。そして「(勉強を)やっても結果は出ない。だから、やる必要がない。」と自分で勝手にそう思いこんでしまいました。それが1月まで続きました。1月の終わりに先生と親とで三者面談をしました。そして親とも何度も話しました。そして、1月の終わりから受験まではまじめにやろうと思いました。先生のことを信用して、最後まで諦めず勉強しました。
 結果は行きたかった学校には入学できませんでした。しかし、最後まで努力したことには後悔していません。この塾で学んだことは、最後まで諦めずにやり抜くことです。そして将来の夢も持つことができました。夢は体育教師になることです。これからこの塾で学んだ事を活かして、この夢に向かって頑張っていこうと思います。僕はこの一年間、何度も諦めてしまいましたが、受験が終わってからは。もったいない事をしたと思いました。これから僕のように諦めてしまい、勉強やいろいろな事から逃げてしまいたいと思うかもしれません。そんな時でも前へ一歩踏み出す勇気があれば、必ず結果は出てきます。だから、諦めず頑張ってください。

 

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