© 2023 by kyoushinjuku. Proudly created with Wix.com

2014年度受験をふりかえって

富山大学医学部医学科合格(進学)               K・N君(桐朋高卒)

振り返ってみて思いついたのは、受験とは自分との戦いであるという事です。どういう事かというと、自分の出来ない所を細かく見つけて、そこを得意になるまでやり続ける事がとても大切であるという事です。自分のできない所をやり続ける事はとても辛くてストレスがたまる事です。なので、どれだけ出来ない所を我慢してやり続けられるかが受験の勝負所だと思います。僕の場合は、後半の辛い時期に他人に頼ってみたり、何か理由をつけて塾を休んだりして自分に甘えてしまったので、第一志望は受けられませんでした。その事を今でも後悔しています。次に何か辛い事や人生における壁にぶち当たったら、全てを捨てて後悔ないように取り組んでいきたいです。また、受験にはどうしても運が絡んできます。実際テスト直前にやった事が、テストに出てくる事もありました。なので、自分の出来ない所を埋めるという作業は、自分の運を広げるという作業でもあると思います。

早稲田大学先進理工学部合格(進学)            K・Rさん(創価高卒)


国立大学に現役時落ちてしまい、浪人するために塾を選ぶとき、この塾とほかの大手予備校とまよいました。予備校では朝から授業があり、高校の延長のようなものだと思いました。確かに、周りに同じ志の人がたくさんいる環境のほうがいいのかな...と思いましたが、高校の自分を超えるためには環境を変えなくてはならないと思ったことと、得意科目と苦手科目の差が私はとても広く(化学数学がよく、英語国語がびっくりするほど苦手)全員で全科目同じレベルの授業を受けるよりは、科目別に対策できるこの塾を選びました。
勉強に関しては細かく見られるので、自分で気づいて いながらも、直せずにいた弱点を指摘していただいたり、この勉強の仕方でいいのかと疑問に思ったときに、すぐに答えてもらえて、安心して勉強ができました。特に苦手科目の現代文などは毎回私がキレ気味に、この文章何言ってるかわかんないんですけど!?と聞いても、わかりやすいように、先生の意見も少し混ぜながら教わりました。私は現代文を敵のように思ってましたが、少しは良さを感じれるようになったと思います。
この一年、勉強だけでなく、いろんな目標をもったひとや、いろんな性格の人を塾で見て社会勉強にもなるなあと思っていました。
志望校にはとどきませんでしたが、この塾で苦しみながらも勉強を乗り越えて、すっきりした気持ちでいます。一年間お世話になりました。

國學院大学 文学部外国語文化学科合格(進学)      H・Mさん(杉並学院高3)


私が塾に通い始めたのは、高3の春からでした。私は高校受験を失敗していたので、一般入試ではなく、入学時から指定校推薦を狙っていました。しかし、高3になる前に指定校推薦をとれないかもしれないと分かり、一般入試を考えるようになり、入塾させて頂きました。それまでの私は、定期試験の前しか勉強しておらず、勉強することにすら慣れていませんでした。そんな私のふわふわした気持ちを引き締めてくれていたのは、塾に通っていたみなさんの一生懸命勉強している姿や、柳原先生でした。先生は次々にやるべき事を教えて下さったので、それに必死でついて行きました。そのおかげで勉強することにもすぐに慣れ、勉強する習慣がつきました。

結局、私は指定校推薦をとることができませんでしたが、別の推薦入試を見つけ、一つのチャンスだと思い、受けることを決めました。一次試験は、小説の要約と自己PRでした。全て先生が添削して下さり、一次試験に合格。二次試験は英語の筆記と面接でした。それから一般入試のこともしっかり踏まえた上で、英語を中心に勉強していきました。勉強の進度や使う教材など、全て先生に任せていました。そして二次試験は、これで合格していなかったらどうしよう、と思うほどでした。

私が合格できたのは、本当に柳原先生のおかげだと思っています。本当にありがとうございました。

青山学院大学経営学部合格(進学)        Y・K君(都立小石川中等教育卒)

僕がこの塾に通おうと決めたのは、扉を開けてから3秒でした。中高でろくに勉強をしてこなかった自分にとって、塾の空気感や空間的なimprovisation、塾長の揺るぎない存在感(何とも表現し難い圧倒的な何かを感じた)ということからしか塾を選べなかったのです。勉強することは、至って簡単でした。何故ならペンを握って覚える物を覚えてしっかりステップを踏んで修正していけばいいのですから。しかし、僕は勉強を自分で難しくしていたのです。勉強に対して「直感」や「好み」はほとんどが自分の力にならず、「自分に合わない」「なんか集中できない」なんていうのは、目の前の勉強に向き合おうとしていない情けない姿でしかありません。それを僕は2年間の受験生活の中で数多く行っていたのです。受験勉強に限らず、どんなことを行うにも結局は自分自身がどのように目の前で直面している事と向き合えるか、だと実感しました。今思えば、柳原先生がどれだけ効率良く、様々な方面からのアプローチを僕にして下さっていたか、その時にそれらを拾えず吸収できなかった自分に深く反省しています。
 やはり自分は力不足だったのでしょう、いや力不足なのです。結果、早稲田に行くことは叶いませんでした。僕は2浪目で初めて合格というものを体験するのですが、正直結果が分かった時、さほど喜びは湧き起きず、「あーなるほど、こんな感じか。」という気持ちでした。恐らく多くの人々は合格の瞬間から、その時までの勉強に対する自分の多くの欠陥を自然と忘れて新たな道を歩み始めてしまうのでしょう。「あの頃の欠陥を忘れるな。」という思いを自分の中に持つことは、重要なんじゃないかと僕は考えます。この言葉は、トラウマとして受験を位置づけることだったり、いつまでも受験のことを口に出すような輩の考えとは全く異なり、目の前に見えていた欠陥を見過ごし清算するようなことは、大学生活という名の「次のステップ」に得体の知れぬ安心感を覚えていつの日かまた以前と同じ壁にぶつかることに繋がりかねないし、自己の成長の妨げになると(というよりぶつかるまで退化しているのではないかと)考えるからです。大学に行くこととは、あくまでも「次のステップ」なのであって、それ以上でもそれ以下でもない。だからこそ、明日をどのようにして生きていくかを毎日懸命に自分のやりたいことになぞらえて考えていくことが必要になってくるのではないでしょうか。
 ここまで書いてみて、やはり自分はまだまだ未熟だなあと感じます。でも、ここに入る前はある程度言えたとしても実に中身のない話しか出来なかったのです。塾には行ってから本当に色々な事を考え、柳原先生に考えるための機会を与えてもらったりと本当に有意義な日々であったなと、感謝の思いでいっぱいです。こうした体験は受験というものがそうしてくれたなんてことはほぼ無いと言っていいと思います。もし受験のお陰だとしたら、僕は今頃余の大学生にinspirationを感じ、interestingな活動に魅せられているはずですから。
やはりこうして受験を終えた今でも、僕は受験オタクや受験に異様なほど熱心な親がつまらない人間に見えて仕方なく、理解に苦しみます。勿論この現代社会において高学歴を望むのは正しい選択にならざるを得ないと思いますが、そんな彼らからinterestingな方向性のidentityを微塵も感じられないというのは、果たして僕の感性が問題なのでしょうか。もっと育ててあげるべき感性があると感じます。しっかり向き合おうとする医師があるならば、この塾では勉強を通して自己を見つめる機会を数多く与えられ、自分自身を成長させることが出来る場所になると思います。何と言っても、自己の成長のために親身になって真剣に考えて下さる先生がいるというのは大きいです。
 この2年間、多くの方々に支えられた生活でした。やはり柳原先生には本当に様々な迷惑をかけた2年だったのでどう言っていいかよく分かりませんが、まず、ごめんなさい、そして、本当に感謝しています。
 少し前までPerfectionistを目指そうとしていたのですが、それは何年かかっても無理なようです。だからこそ、日々自分の進化のために慢心せず、傲慢にならず、誠実にcreativeにいきるために奔走していこうと思います。 

首都大学東京都市教養学部人文学科合格           H・M君(都立立川高3)


 「後悔先に立たず。」自分の受験生生活を振り返ったとき、この言葉が一番当てはまると思った。何の後悔か、と問われても私は明確にこれといったものを示せない。受験校の選択、入試直前の追い込み、あるいは自分のこれまでの人生までひたすら後悔した。私はMARCHも早慶も一橋も落ち、後期の首都大学東京に受かったが、合格を知った時、喜びは自分でも驚くほどあっさりと私の中から消え去った。「これはお前の望んだ結果か?」というささやきが聞こえた気がした。
 私は自分が努力家であると思う。事実、高2のころから学校が終わったら塾に来て勉強していた。高3の時は言うまでもなく、現役の高3の中でも勉強時間は多かったはずだ。嚮心塾の形態上、「サボり」が多いことを危惧する人は多いが、それは結局学ぶ人に依り、現に私はサボらなかった。また、私は頭が良い方だと思う。高校受験を経た人は分かるかも知れないが、都立自校作成校(都立の上位校)にも受かっている。高校でもぎりぎり上位には入っていた。昨今の学生間では容易に「天才」が作られるが、私もその「天才」の枠には入っているだろう。
 ここまでこの文章を読んでくれた人は「ネガティブ」と「ナルシスト」という相反する印象を受けるかもしれない。実際、その印象は当たっている。私は常に自分を卑下しながら、内申では人より高みにいると考えていた。「君には劣るよ」と言いながら「国語の点数は俺の方が上だ。」と考えていた。「受験、厳しいなー」と言いながら「MARCHくらいならうかるでしょ」と私は考えていたのだろう。
「受験を舐めていた。」ありふれた言葉だが、これが私の感想であり、伝えたいことだ。猿も木から落ちるし、河童の川流れは起こるものだ。猿や河童が受験を前にした私の後輩やベテラン塾講師かも知れないと皆さんに忠告し、何より猿や河童であった過去の私をこれからの戒めとすることで、私は反省を終えようと思う。

 


横浜国立大学経済学部合格(進学)              T・Y君(桐朋高3)

 高1の最後に文理分けをするまでは、好奇心から全ての教科を納得のいくところまで完璧にこなしてきました。しかし、受験に使用する科目を選択することになったときに、今までの勉強を否定されたように感じてしまいました。今思うと、評価を伴わない努力を無駄である、と感じるところに自分の弱さがあるのだと思います。その後は、受験勉強と今までの勉強への姿勢との違和感から勉強に興味が無くなり、ほとんど勉強をしなくなりました。高3の夏頃になって、受験勉強をしないでクラスにいる居心地の悪さから、勉強を始めました。やってみると、2年のブランクがあるわりには、意外にできることに気づき、「半年で京大あたりに受かったら、すごいんじゃね」と考えて、本気で勉強を始めました。7,8月で基本的なことを一通り終えると、「後は自分でできる」と勝手に考えて、嚮心塾にも通わなくなりました。ここからかなり伸びた自信はありますが、結局京大には落ちました。落ちたときは、プライドを守るためだけに受験をしてきた自分には何も残っていませんでした。その後、「浪人か進学か」というよりも「どのような姿勢で浪人すべきか」ということに悩み続けているとき、ある友達の話を聞きました。彼は、一橋に下げればほぼ合格できるが、東大だと五分位の学力をもっており、やりたい学部が東大にあるため東大を受験し、落ちた後は、すぐに後期に受けた横国へ進学することを決めていました。自分よりも優秀な人間が、第二志望の学校への進学を明確な目標をもって即決しているのを知ったとき、はじめて友達との(勉強やスポーツがどんなにできる友達にも感じたことのない)「差」を感じました。そして、大学名と将来の安定のためにもう一度受験する自分がむなしくなり、これが絶対に越えなければいけない壁ではない、と思い、進学を決めました。
 受験をしていると、勉強の目的が本質からずれていき、大学名という結果のみを求めてしまいがちです。そのまま合格すればいいのですが、落ちたときにはそういう人には何も残ってなく、むしろ努力をしたのにも関わらず自己否定に向かってしまいます。(そして、それは努力の量が多ければ多いほどにです。)今、受験に向かっている人達は、自分が落ちることなど少しも考えていないと思いますが、今のうちに受験への姿勢を考えておくのもいいことだと思います。

 

(高校受験生)
都立西高校合格(進学)                   H・Tさん(成蹊中)

私は小中高と一貫校だったため、受験する必要がなかった為何度も先生に受験をするのはどうかと聞いていたのだが、先生は成蹊にいることのメリットとデメリットを教えて下さり、毎回成蹊にいた方が良いという結論に至っていた。そのため、様々な理由から受験をすると決め、本格的に受験勉強に取り組んだのは中3の11月からだった。私はみんなは一年間勉強してレベルの高いところに受かるのだから、4ヶ月ではそこまで上の学校は目指せないだろうと考えていたから、都立でも国分寺あたりにしようかな、と思っていた。だが先生は、そんなに低い目標じゃだめだ、受かるから西高や日比谷高にしなさい、とおっしゃった。その時の私は正直全く信じられなかったし、志望校を結局は下げるだろうな、などと考えていた(先生はあくまでも本気)。しかし、勉強していくうちに、西高でもいけるかな、と思うようになっていった。こう思えたのは先生のおかげだと思う。先生は私がどれだけ成長するかを的確に予測し、正しい目標を与えてくださった。もし違う塾なら、「さすがに西は難しいからもっと安全なところを受けろ。」と言われただろう(実際、色々なところに言われた)。要するに言いたいのは、先生は一人一人を本当に(他の塾では分からない所まで)よく分析し、指導して下さるということだ。今思えば、1月の模試でD判定だったのに、それでも全く気にせず最後まで勉強できたのは先生の指導を信頼していたからなのだろう。先生は1ヶ月でいくらでも伸びるとわかっており、そうおっしゃっていた。また、これは改めて思うのだが、高校受験は本当にぬるい。ただ最後まで真剣に勉強したかだけで合否が決まるし、詰め込むように覚えても受かるのだ。だが、これは大学受験には通用しない。このことは同じ机で大学受験生と勉強したからこそ、感じることができたし、分かった。だから私はこの塾の環境にいられることを感謝している。受験をしたことで大学受験のための勉強を止めてしまった。だが、受験をしたことで自分の欠点がよくわかった。何より、それまでの私のままで勉強していたら大学には絶対受からなかったと思う。のんびり勉強し、まあ、塾いってるしなんとかなるでしょー、と思っていたし、それでもってまあなんとか仕事について…などと思っていた。でも、実際そんなに甘くない(まだ事の全てをわかったわけではないが)。このようなことが学べたのは受験をした最大のメリットだと思う。
 最後に適切な指導をして下さった柳原先生とわかりやすく教えて下さった3人の先生方、本当にありがとうございました。また、この塾に通わせてくれ、受験のことを信じられないくらい調べてくれたお母さんや家族にも感謝したいと思う。

 

星稜高校合格(進学)                   T・K君(荻窪中)

ここで勉強したのは短い時間だったが、今までの塾とは違ったスタイルで、自分に合っていたと思う。解く問題数を多くしていくにつれ、分かる問題が増えてきて、勉強しなくちゃ!勉強が楽しい!と思えるようになっていたし、勉強するクセがついた。また分からない問題をすぐに質問できて分かりやすく教えてもらえたので、ニガテが減っていった。自分のやりたい勉強を自分のペースで出来るので、コツコツと実力を高め、学習をしていく事ができた。

(中学受験生)
穎明館中学合格(進学)                        T・M君

ぼくは5年生の頃から行きたい中学校が決まっていました。しかし、6年生になってもあまり勉強しなかったので、模試でも合格率が20%しかありませんでした。過去問でも最初の頃は全然点がとれませんでした。途中からやっと合格最低点に届いたり、届かなかったりしたけど、それでも「本当に大丈夫なのか」ととても不安でいっぱいでした。でも、苦手な地理や年表、生物、物理など今まで避けてきた分野を勉強していくごとに点数が上がっていき、ついに最高得点に届くこともたくさんありました。苦手でいやだった分野を克服したおかげで、ぼくは5年生の頃から「行きたい!」と思っていた中学校に行くことが出来て、とてもうれしいです。